HOME

AOKI YUTAKA

イラスト/ 青木裕 × 寺田克也

青木裕×寺田克也
『Lost in Forest』特設ホームページ開設記念
〈創作すること、生きていくこと〉
-後編-

初のソロ・アルバム『Lost in Forest』をリリースした青木裕と、その絵と音楽に驚いたというマンガ家・イラストレーター寺田克也。先立って公開された前編では、ふたりの出会いからシーンにおける立ち位置にまで話が及んだが、後編では、「夢を叶えること」についてさらに掘り下げた内容となった。自分の生きる道を見つける難しさと困難さを、技術やクオリティを保つためにストイックで有り続けたふたりの視点からお届けする。
(取材・構成 森樹)

何でもできますよ、というアピールはしたくない(青木)
最近はどんどん線画や線そのものに興味が戻ってきている(寺田)

――青木さんはソロ・アルバムのジャケットも含めて動物をモチーフに絵を描くことが多いですが、それは昔からですか?

青木 : 僕は幼い頃、野生動物になりたかったんです(笑)。サバンナの猛獣のようにご飯に齧り付いてたりしたんですけど、人の子として幼稚園を卒園しました(笑)。野生動物が無理なら次は動物学者になりたかったし、図鑑ばっかり見て過ごす子どもでした。

寺田 : それでこういう絵を描けちゃうんだね。おもしろいなー。

青木 : 鉛筆を持てば動物を無意識に描いちゃいます。特に今回のソロは依頼されたものではないので、好き勝手やろうとすると自然にそうなりました。

寺田 : 野生動物になっていくんだ。

青木 : 今回のジャケは、心に潜む自分を動物の姿に描く、という心理的な演出も兼ねて。僕は人間を描くのが苦手なんです。イラストの依頼は承ってはいるので、依頼があればなんでも描きます。でも、注文と違ってもこのテーマだったら人じゃなくて動物でもいいだろうと変えちゃうこともあります(笑)。そうやってとんちみたいな感じで得意分野に持っていくことはありますね。

寺田 : それはとっても大事だよね。イラスト仕事においては。

――カラーにテーマはありますか? ジャケットはダークな色合いですが。

青木 : 個展をやったときはボールペン画が中心だったので、黒く塗りつぶす作業がすごく大変なんです。デジタルを使うとそれが簡単にできてしまうじゃないですか。それが楽しくて必要以上に塗りつぶしちゃうところはありますね。

寺田 : それが理由なんだ(笑)?

青木 : (笑)。その気持ち良さが抜けきれないんですよ。逆にカラフルって僕にとっては難しいので。

寺田 : 色は普段から扱ってないと難しいよね。オレも全然カラフルじゃないけど。特に最近は、どんどん線画や線そのものに興味が戻ってきていて、色が失われていく感じがしてます。

青木 : 僕も音楽ではいろんなことを試して、一周しましたね。絵でいうと半周ズルした感じなんですよ。得意な絵しか描かないので。

寺田 : それはいいことだと思うよ。

青木 : 音楽も我流なんで、苦手な分野では何もできないんですよ。もちろん努力はしますけど、何でもできますよ、なんていうアピールはしたくないんです。それはかっこ悪いかなと。カッコつけるのは良いけど、カッコ悪いのは避けたい。

美しい誤解が若い頃にはあってそれが新しい発見に繋がる(寺田)
勘違いしても自惚れていても良いんです。やり続ける意志さえあれば(青木)

――元々の音楽をやりはじめるきっかけはなんだったんですか?

青木 : 小学生のとき、クラシック音楽にはまったんです。ピアノとかバイオリンとかではなく、個々が奏でる音の集合体に惹かれました。当時は、ソリストに魅力を感じなかったんです。楽器を持たない指揮者は論外って感じで。オーケストラは好きだけど、なんにせよ僕ひとりではなにもできない。その解決法を模索しながら、ノートに動物を描いていました(笑)。その後、高校生になってギターを手にするんですけど、モーツァルトのレクイエムとかをコピーしていて。ギターを抱えて、カセットテープの一時停止を繰り返しながら「こういう音程なんだ」と確認する。バイオリンやチェロ、合唱をパートごとに分析するんです。鍵盤なんかよりもギターがやりやすかったんです。

寺田 : 最初はみんなそうだよね。手法なんてわからない。オレだってメビウス好きだけど、フランス語なんて未だわからないから物語としてはちゃんと読めてない。でも、その誤解が美しいわけで。読めたらつまんなかったりすることもあるし、読めない分だけ、自分でイメージを補強する。そこで生まれる「もっとすごいんじゃないのか」という想像が、自分が受けた影響を超える方法なんですよ。イメージの中で生まれた元の絵に対する疑問や、「こうしたらいいんじゃないか」という思いを持って実践すれば、影響を乗り越えていける可能性がある。こういう美しい誤解って若い頃にはいっぱいあって、手法を知らないことで新しい発見に繋がる。もちろんそれは先人があってのことなんだけど、若いときは超えた自分がすごいってなっていくよね。そこを無意識に、ピュアに目指せていたかというのがじつはすごく重要。青木くんが話した、クラシックの音を拾うためにギターを買った話とかは完全にそうだよね。バンドデシネ(フランス、ベルギー地域の漫画の総称)とかを言葉もわからず眺めていたオレもそうだし。「もっとすごいんじゃないの?」というのが闇雲にあるんだよね。

青木 : それはありますね。

寺田 : それは頂上の見えない山みたいなもので、周辺を歩き回っているとだんだん全体像が見えてきて、こういうことだったんだと頂上を発見できればラッキー。発見できる前に辞めちゃうとそこまで行けない。その全体像が見つかるまでの時間が一番苦しいね。苦しくても続けていると、ようやく輪郭が見えていく。結果的に続ければ続けるほどやれることが増えてくるし、山の輪郭がくっきりしてくるんだよ。ベテランであればあるほど元気になっていくというのはそういうやる事がハッキリするから。若いときって、じつはやりたいことはそんなにないんだよね。かっこいいものを描きたいと思うけど、やり方がわからないともやもやしていくし、そこで辞めちゃうと成長も止まっちゃう。それを乗り超えていくとスキルが手に入るし、度胸もつくし、友達もできて居場所もできるといういいことしかないから。

青木 : そうですよね。だから、勘違いしても自惚れていても良いんです。やり続ける意志さえあれば。

寺田 : うん。あとは、山の頂上にたどり着くのに楽をしようと思わなければ大丈夫。楽な方法を見つけようとするとちょっとかわいそうなことになる。険しい山道に入ることを厭わなくて、実際に闇雲に入って大怪我をするような人の方が最終的には強いかな。

青木 : 僕は怪我してばかりです(笑)。

寺田 : それくらい、自分の目標とする場所には簡単に行けない。それはあとからわかるんだけど。若いときは自信があるから、20代くらいでてっぺんに登った気分になる。でもそれは誤解で、50代でやっと、自分の方向が間違ってなかった、というところにいるのがわかるくらいで。振り返ってみると蓄積はあるし、根拠や自信がなくても「大丈夫です!」って言ってきたことが今に繋がったりしているかな。努力の先を見据えすぎていると、努力する前に挫折したり、終わっちゃうことも多いから。

青木 : 先を見据えたとしても、予想と違った形で結果につながることはあるんですよね。

寺田克也氏の自宅にて

自分がやれることを見つけて探していくことだよね(寺田)
就職していた10年も、結局は挫折ではなかった(青木)

寺田 : こんなことを言ってるオレらだって、駄目になったらいつでも文無しだしね。じゃあ生活どうするのって思うよね。たまたま食えてるけど。若いときはそれがわからないからね。なんでオレに依頼が来るんだろうって思うし。楽な道を探そうと思えばできると思うよ。でもそれは技術よりも人脈に走ることになるから、そういう人は別の道にいった方が良いよね。結局、オレはそこにいかなかったという。自分の身体が道具だから、それを精一杯磨くという。

青木 : なるほど……。僕の場合、道のり険しく将来見えずで一度は諦めましたからね。20代前半は、ずっとひとりぼっちで寂しい気持ちでした。誰にも相談することなく殻にこもるような性格だったんで、勝手に答えを出しちゃったんですよね。絵にしても、僕は写実的なタッチ以外は苦手なので。それを独創性が低いと決めつけて可能性を放棄したんです。結局は正当化というか、なにかと理由をつけて自分を納得させていたんです。でも、諦めたと思って就職しても何をしても、夢に対する情熱が捨てきれなくて。それで退路を絶って、音楽の道に飛び込みました。それからは、平日の昼間は働いて、深夜はスタジオで練習。休日はメン募活動。ろくに寝てなかったですけど楽しかったんです。まあ、二度と繰り返したくはないですけど。

寺田 : 辛いとか考えちゃ駄目だからね。

青木 : 以前、ギター教室をやっていたんですが、たまに生徒から将来について相談されることがありました。楽な道を探る生徒には、話の腰を折って別の話題で盛り上げます(笑)。

寺田 : やっぱり相談されるんだ?

青木 : はい。「やればできるよ」ってことしか言わなかったですけどね。相談の質はそれぞれ違うんですけど、やりたいことが決まっている生徒は答えになんとなく気づいてるんです。

寺田 : 大体、自分で宣言したらプロだしね。なろうと思えばなれる。

青木 : 心の中でもう方向性が定まっているんです。「やる」か「やらない」か。

――そういう意味では、情報が溢れている現代の方が、闇雲に夢を追いづらい一面は感じますか?

寺田 : というよりも、大変さの質が違うんでしょうね、情報がある分。大変なのは、いつの時代も大変ですから。

青木 : やるやつはどんな時代でも状況でもやりますしね。

寺田 : オレたちも、自分が得意じゃないことは言うだけで何もやんないもんね。

青木 : そうなんですよ(笑)。

寺田 : 自分がやれることを見つけて探していくことだよね。オレにとって、絵を見つけられたことは幸運です。

青木 : 僕にとっての就職していた10年も、結局は挫折ではなかったですからね。今のモチベーションの源になっていますし。もし仮に、18歳で順調にデビューできていたら、その音楽経歴は黒歴史になっていたかもしれない(笑)。だから、そこは今の仲間に出会えたことの感動と感謝があります。

寺田 : 回り道したことが結果的に運に繋がったんだね。

次のソロでは、何かやったもん勝ち、みたいなことをやりたい(青木)
ゴールは死ぬときだけで、あとは締め切りがやってくるだけの人生だから(寺田)

――青木さんは次の展開は決まっているんですか?

青木 : 僕は早々にソロ2作目に着手したいんです。でも、周りは絶対無理だと言ってくるんで。

寺田 : どうして無理って言われるの?

青木 : 今回の作品は凝りまくって締め切りギリギリでしたから。そう簡単に次は作れないだろうと。だったらすぐにアルバムを完成させたいし、もっと幅を見せてみんなを驚かせたい。

寺田 : どんな作品にしたいの?

青木 : 何かやったもん勝ち、みたいなことはやりたいですね。

寺田 : なるほど。とんちをきかせてね。

――寺田さんは何かやってみたいこと、ありますか?

寺田 : それはもう目先の仕事を終わらせることですよ(笑)。自転車操業なので。目標っていう形で言えば、うまくなりたいっていうのはずっとある。でも、これは死ぬまで達成できないことだから。オレが思っているうまさっていうのがどこにあるのか、まだまだ探しているようなものです。とりあえず100歳すぎまでは現役でいるつもりなので、そうするとあと50年あるから行けそうでしょ? 体力は落ちてくるけど、健康だったら。

青木 : 僕もバンドをやりつつ、ソロでもイラストでもまだまだチャレンジしたいですね。

寺田 : ソロとバンド、両方ともやるのがバランスとして良いよ。仕事でいうと、映画みたいにスタッフがいっぱいいる仕事も楽しいけど、同時にひとりでも何かやってみたくなる。そういう極端なものを持っていられるのはハッピー。それぞれ違う自分が出せるし。やっぱり仕事としては、誰かに必要とされ続けたいというのもあって。誰も見向きもしてくれなくなったら、さすがにひとりでやり続けても意味がないからね。自分が楽しみつつ、どこかで誰かのために描くというのは必要だし、バランスを取る必要はある。好きなことと、他人が喜ぶことをすり合わせる。昔は自分の好きなことばっかりやるからアクが強いものになるけれど、譲歩できる面白さもだんだんわかるようになる。これは迎合するってことじゃくて、自分を合わせていくことができるようになるってこと。それが最終的には、「何やっても寺田だ」とか、「これって絵も音楽も青木くんじゃね?」っていう評価に繋がる。

青木 : それは理想です。僕にとって、多岐にわたる表現活動には意味があるんです。

寺田 : どの画材を使っても絵がわかるとか。そうなるとやっとスタートラインですよ。ゴールは死ぬときだけで、あとは締め切りがやってくるだけの人生だから(笑)。だから、オレらはみんな、志半ばで死ぬんです。この半ばをどれくらい充実させていくかなんですよ。

青木 : よくわかります。気持ちの良いゴールで終えられたらと思います。

< 前編

PROFILE
寺田克也
漫画家、イラストレーター。ゲームやアニメ、実写映画などのキャラクターデザイン、小説の装丁画や挿絵など多くの作品に参加。代表作として、漫画『西遊奇伝大猿王』、ゲーム『バーチャファイター』キャラデザイン、画集『寺田克也全部』、『寺田克也ココ10年』がある。最近は主にiPadPro13インチで作画を行う。
青木裕
音楽家。downy、unkieのギタリスト。イラストレーターとしても活動しており、2016年には初の個展となる「青木裕展」を開催。2017年1月、Virgin Babylon Recordsより、すべてギターのみで構築した制作期間10年のソロ・アルバム『Lost in Forest』をリリースした。模型制作もプロ級。