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AOKI YUTAKA

Photo by Eisuke Asaoka

青木裕 × MORRIE
-前編-

11月18日に渋谷WWWで行われた青木裕のソロライヴ『Aoki Yutaka “Lost in Forest“ LIVE』を振り返り、青木裕と対談したいと申し出たのはMORRIEだった。子供の頃、MORRIEに憧れを抱いていたという青木と、青木の弾くギターの奥深さに強く惹かれるというMORRIEの対談だ。この対談は2017年12月25日に、MORRIEのファンクラブサイト用にインタビューされたものであったのだが、青木の生前の希望により、ここに掲載する。
取材・文:武市尚子

この対談は、青木の“MORRIEさん。検査結果出たんです”という言葉から始まっていった—。

MORRIE : 分からないよね、この検証自体が。“生まれて死ぬ”って説明できる? 何故そんなことが起こっているのか。まず、そこに驚いてくれないと、死ぬという現象もまったく未知で分からないんですよ。見るのは他人の死ばかりで、自分の死は絶対に見られないわけでしょ。論理的には、死の原因は“生まれた”ということでしかない。病気で死ぬ、事故で死ぬとか、これは条件であって、原因じゃない。人間は生まれてきたからには、絶対に必ず死ぬんですよ。どんな死に方をするのかは、条件。死ぬ原因は、生まれてきたから。生まれてきたから死ぬんです。これは当たり前の話で、そこは避けては通れない話。もちろん、仲の良い人が死んだり、家族が死んだりしたら悲しかったり、いろんな気持ちがあるけど、僕的に言うならば、“自分が自分であるのこの〈自分〉は永遠”なんで、死なないんですよ。死ねないんですよ。

青木 : そうですね。MORRIEさんのおっしゃること、今、すごく分かる気がします。

MORRIE : 11月ソロライヴのとき(2017年11月18日に渋谷WWWで行われた青木裕のソロライヴ)、直前に退院したんだもんね。

青木 : そうですね。無理矢理。

MORRIE : そのときは腸閉塞っていう診断だったんでしょう?

青木 : そうなんです。というか、正直なところ分からなかったみたいで。僕がとにかく痛がるから、検査してくれたんですけど、結果、ちゃんとしたことが分からなくて。

MORRIE : 胃潰瘍か腸閉塞か、はっきりしたことは分からないって言ってたもんね。

青木 : そうなんです。11月1日にお腹の激痛が夜明けまで続いて。それが幾日も続いたんだけど、ずっと我慢してたんですよ。5日にdownyのライヴがあったし。18日のライヴを中止にすることはできないので敢行するつもりでした。だけど、痛みが続くことでメンバーや関係者に迷惑はかけられない。それで病院に行ったら、はっきりしたことが分からない状態だったんです。そこからいくつも病院に行ったんですけど、誤診ばかり伝えられました。結果、骨髄肉腫っていう病気であることが分かったんです。このまま何もしなければ——、っていう話もされて。本当に見極めるのが難しい、癌の中でも世界的に稀な癌みたいで。血液の癌なんですけどね。悪性リンパ腫とも言われて。でも、結局それでもなくて。

MORRIE : それも違ったんだ?

青木 : はい。今(2017年12月25日)は骨髄肉腫なんですけど、僕がなろうとしているのは骨髄性白血病なんです。発症したら余命1ヵ月らしくて。骨髄性白血病になるまで、つまり発症するまで、だいたい半年か9ヵ月くらいだって。いままで2年っていう人もいたって聞いたんで、僕、そこまでいくんじゃないかな? って思っているんです。実際、腫瘍が見つかって、手術したんですけど、次の日には普通に歩いてたくらいのすごい回復力なんで、医者も驚いてましたからね。本当に何ごともなかったように治るんじゃないかって思ってるんですよ。

MORRIE : 素人判断ではあるけど、すごく解明するのが難しそうというか。

青木 : そうなんですよね。医者でもまだ確実な原因が分からないらしいですからね。数週間前に医者に聞いたときは、治療の実も無いって言われたんです。僕が5ヵ月後に生きてる確立は——っていう話しだったんですよ。本当に隠すことなくガンガン言われたんで。もちろん、それを僕が望んだからなんですけど。で、僕はそのとき、“それだったら、人間らしく、太く短く生きる選択肢はありますか?”って聞いたんです。そしたら先生に、“青木さんの場合だったらあるかも”って言われて。苦しまずに死ねるかどうかっていうのも確認して。本当に人間らしく生きたいということだけを思いましたね。

MORRIE : 青木くんの気持ちはすごく分かるよ。安楽死が合法の国もあるくらいだからね。本当にその気持ちはすごく分かる。自分も50歳を過ぎてからは、このまま何事もなく生きたとしても現実的な死はそんなに遠いものでないと常に思って生きているよね。

Photo by Eisuke Asaoka

青木 : そうですよね。僕、11月18日のライヴまでは絶対に死ねないと思っていたので、ライヴをやりきった翌日にはっきりとした病名を告げられたときには、もう悔いがなかったというか。“すごくいい人生でした”って思えたんです。だから、全然動揺もしなかったし。なんかね、自分らしいなって笑ってしまったんです。

MORRIE : 11月18日の『“Lost in Forest“ LIVE』は、青木くんにとって人生初のソロライヴだったでしょう。ライヴの前から入院していたから、心配しててね。当日は胃が痛いとは言っていたけど、まぁ、人生初のソロライヴで、緊張やプレッシャーもあるだろうし、神経的なものなのかもなって思ってたんだよね。

青木 : 僕もそう思ってましたからね。

MORRIE : ライヴが終ってからは、清々しい表情をしていたから安心していたんだけど、その次の日から入院してね。そこからずっと誤診誤診でね。心配してたんだけど、“結果、悪性リンパ腫でした”って、連絡もらって、え!? 大丈夫なん!? って言ってたら、それも違ってたんだ………。それで、今、本当の病名(骨髄肉腫)を聞いたっていう状態なんだけど。

青木 : ライヴの翌日の11月19日から12月5日まで入院していて、退院した次の日にMORRIEさんから、SUGIZOくんのライヴに誘ってもらったんですよね。退院したばかりだったし、どうしようかなって思ったんですけど、やっぱり行きたいと思って連れて行ってもらって。結局すっごく楽しんじゃったんですけどね(笑)。

MORRIE : それぶりやね、ゆっくり青木くんと会うのは。

青木 : そうですね。なんか、病名がはっきりと分かった今、自分の残された人生がすごく尊く思えているんですよね。自分のソロライヴもやれた今、もう好きなことしかしないと決めて生きてるから、毎日が楽しくてしかたないんです。

MORRIE : 好きなことしかしたくないよね。でもね、それでいいんだと思う。本当にそれがいいんだと思う。そりゃあ青木くんと会えなくなるとか、一緒に音を出せなくなるとか思うと寂しいよ。

青木 : そうですね、それは寂しいですけどね。

MORRIE : 人間ってほんと価値観だよね。この世の大勢の価値観って、お金とか名誉とか地位とかでしょう。結果として付いてくるものではあっても、それら本来は自分にとってはほとんど価値はない。この世の馬鹿げた幻想であって、それはそういうものとして生きている。でも、世界の多くは本気にそこを目指してまわってる。もうそれが狂気の沙汰としか見えない。僕は青木くんのライヴを見て、自分と同じ価値観の人だなって、改めて思ったというか。青木くんがギターを奏でてる姿に、あの場に居た全員が引き込まれたと思うし、全身でそれを受けとめたと思う。もちろん資本主義なんで、お金が無いと生きていけないとはいえ、そこを価値として生きている限り、みんな現世に引き止められてるに決まっているんだからさ。現世ゲームは超えていかないと。自分はそうではないし、青木くんもそうではないと思う。あの場に集まっていた人達は、きっと同じような価値観や感性を持った人だと思うからね。本当にあのライヴは貴重なものだったと思うよ。

青木 : 嬉しいな。MORRIEさんにそう言ってもらえるのは、本当にすごく嬉しいです。

MORRIE : 音符を弾くギタリストで、上手い人はいくらでもいるんだよね。神経と直結しているような青木くんのギターは、ギターを弾くことが目的ではないと思う。もっと言うなら、音楽をやることが目的ではないというか。音符を奏でるというところではないと僕は思う。というか、そう感じる。ギターの音色やフレーズで曲が成り立っているけれども、何か別のモノを表現するために音楽というツールを借りている、数少ないギタリストだと思う。レッド・ツェッペリンのある種の曲とか、ジミ・ヘンドリックスのある種の曲とか、昔からそういう曲やギターを残している人はいるんですよ。音楽でではあるけれども、それではない何かというか。そこを感じ取れる人もいれば、そこを感じ取れない人もいて。あの日の青木くんのライヴを見て引き込まれる感覚になった人の多くはその感性を持っている人だと思う。何に惹かれているのか具体的なものは見えていなくても、感受性としてはちゃんと分かっているんだと思う。

青木 : 11月18日のソロライヴは、フロアにお客さんが入ってくれて、ライヴをするという、通常のライヴ形式ではあったけど、僕にとっては、自分の垂れ流すだけの時間だったというか。“青木裕です”というのを見せただけの時間だったので。今、MORRIEさんがおっしゃったように、ただただ湧き出てくる感情でしかなかったというか。もちろん、サポートメンバーには譜面的なものは渡して演奏してもらっていたんですけど、僕は本当に自由だったので。本当に存在を見せるステージだったので。計算がなかったといいますか。

MORRIE : もちろん、音楽が好きでやっているというところは大前提なんだけど、単に音楽が好きでやってるという人や、単に絵が好きで描いてるという人とはその創造の根源が違うんだと思う。なんかもっと精神的なものというか。そういうところでやっている人達と前者とは、境界線があると思うね、確実に。

青木 : 『Lost in Forest』は、本当に自由にやらせてもらった作品で、ソロライヴはその延長だったので。ここで盛り上げなくちゃ、とかこういう流れにしなくちゃっていう、ライヴ的な流れはいっさい考えていなかったですからね。あれは、本当にただの僕です。来てくれたお客さんには、徐々に森の全貌が見えていく感じにしたいなっていうのは考えましたけどね。ちょっと最後に浄化されるような感じというか。でも、綿密にそこを考えたわけでもなかったというか。自然とそうなっていってた感じでしたね。

MORRIE : 本当にあのライヴは貴重なライヴだったと思うよ。

青木 : 良かった。嬉しいです。

MORRIE : 僕のファンの人達も何人か来てたけど、本当に良かったって言ってたからね。

—みんな放心状態でしたからね。私も含め。本当に引き込まれる力がすごく強くて。理屈ではないエネルギーを感じたというか。

青木 : 良かった。本当にそう言ってもらえるのが一番嬉しい。

Photo by Eisuke Asaoka

—MORRIEさんと青木さんが、曲にタイトルを付けるときって、最初ですか、それとも、最後ですか?

青木 : 僕の中で、曲にタイトルを付けるということは、わりとどうでもいいことではあるんですけど、タイトルを付けることによって動き出す曲もあるので一概には言えないですね。でも、今回の『Lost in Forest』で言うなら、数曲タイトルというか、“Forest”というワードが先に出て来たのもあったんです。それは、自分的にはすごく珍しいことでもありましたね。ピースがハマった感覚がしたというか。今回に関してはね。

—一番最初に出来るのはどこなんですか?

青木 : 『Lost in Forest』を作ろうと思ったときに考えたのは、ラフデッサン集みたいな作品が作りたくて、そういうイメージで作り始めたんですよ。コラージュ感というか。未完成であるが故の面白さみたいなのをやりたかったんです。例えば、映画で言えば、予告編というか。僕にとって予告編って、本編を越えるくらいの魅力のある物が多いんですよ。それは、編集によって、よりスピード感を構築していくという作業が素晴しいなと。そういうのを、自分のソロでやりたかったんです。そういう意味で『Lost in Forest』は、コラージュ感たっぷりな予告編なんです。そして、11月18日にやったソロライヴは、本編なんです。なんか、ギタリストとして作品を残すときに、ありきたりと言ったら失礼なんですけど、想像できるソロアルバムは作りたくなかったというか。自分の中にはそういう概念がないんですよね。だから、奇妙なことばっかり考えているんですけど、奇妙なことを1曲にしちゃうと失速してつまんなくなっちゃうし。だから、それを、どんどんどんどん繋ぎ合わせて、ずっとスリルが続くようなものを作りたいなと思ったのが、まさに『Lost in Forest』だったんです。

MORRIE : 僕からしたら、『Lost in Forest』は、青木裕にとってはすごく正当派なアルバムだったと思う。一般的にという意味ではなく、“青木裕にとっては”ね。世の中に奇をてらう人って多いけど、奇をてらっただけのモノってすぐに分かっちゃうし、面白くないでしょう。でも、青木裕の作った『Lost in Forest』は、奇をてらったものではない。そのままなんだよ。奇をてらわずとも、人が絶対に作れないモノを完成させてしまう。それが青木裕なんですよ。

—それこそ、才能以上の何か、ですよね。

MORRIE : そう。音楽を使って何か別のことをしようとしてる。音楽が目的じゃないからね。作る上で、手段としていろんな技術もいるんだけど、それは手段にすぎない。

青木 : 本当にそうですね。まったく奇をてらったわけではなく。素の自分にしか行き着かないんです。

—すごく分かります。奇をてらっているものって分かりますからね。それが透けて見えてしまう。本当の素から出てくるものは、誰にも真似できないものだと私は思っていて。音楽も絵も文章も。すべて、奏でる人、描く人、書く人の人生や感性がそのままダイレクトに出るものだと思っているので。その人が生きてきた証というか。感じてきたものの全ての反映だから、真似て作ったところで、絶対に分かっちゃうんですよね。違うんです。やっぱり。

青木 : そうだね。本当にそう思う。『Lost in Forest』は僕の素でしかないんです。

—だから惹かれるんだと思います。そこに、青木裕という人間を感じるから。

青木 : そう言ってもらえるとすごく嬉しい。でもね、今、こうして話していて、僕の言ってることをすごく理解してもらえてるなと思うんです。“『Lost in Forest』は僕の素でしかないんです”という言葉を納得してくれているのが嬉しいというか。だいたい、“奇をてらって作りました”って言った方が、納得されますからね(笑)。

—みんな分析したいし、評論したいですからね。分析も評論も、一つの考え方として受け取るには面白いかもしれないですけど、どう感じるかというところも、聴く人、見る人、読む人それぞれに感じ方は違いますからね。ある人によっては全然響かないものでも、ある人によっては、どうしようもないくらい胸を締め付けられたりする。感じ方は他人に押し付けられるものではないですからね。頑張って理解するものではないから。

青木 : 本当にそう。

MORRIE : 分析も評論も自分の中の安心の材料でしかないんですよ。納得したいだけだからね。そこに頼るということ自体が、感覚が鈍いよね。それをそのものとして受け取れるか。そこだと思うからね。

青木 : そう。本当にそのとおりで。

MORRIE : でも、ライターという立場は、そこを言葉にしなくてはいけない立場でしょ。言葉だからね。そこは難しいところだろうなとは思うけど、やっぱり自分の感覚や感性に偽りなく忠実に書こうとして書かれたものは、ちゃんと伝わってくるので、それは読めば分かる。勿論、感性や感覚の質如何ということになってはくるけれども、ファンの人が、商業的な分析の曲解説というようなものではなく、感じたままを書いてくれたりする時、別に難しい言葉を使うわけでも、上手く書こうとしているわけでも、誰かの文章を真似て書いてるわけではない、自分自身の言葉で素直に書いてくれているものが、すごく伝わってくる場合があるからね。

—すごく分かります。たまに本当にそう思いますからね。真似で書かないで、そのまま書いたら最強なのに! って思うというか。青木さんの『Lost in Forest』は、青木裕そのものだから魅力的なんだと思うんです。それと同じ。そのものだからこそ惹かれる。

青木 : 嬉しいです。本当にそれでしかないですからね。

Photo by Eisuke Asaoka

MORRIE : 今、体調はどうなの?

青木 : 今はまったく健康そのものなんですよ。検査のデータも毎回いいし。医者からも、今のところは何も特にすることはないから、ストレスのない生活を続けて下さいって言われていて。でも、ちょっとでも体調が変だと思ったら、すぐに来て下さいって言われてはいるので、本当は正月、実家に帰ろうかなと思っていたんですけど、大事をとっておとなしくしていようかなと思ってますけどね。今、自分の体が、一生懸命に生きようとしているのが分かるんです。だから、頑張らなくちゃなって思っていて。治るとも思っているし。

MORRIE : いかに心と体が一対一になるかというところだろうからね。きっと僕も青木くんも子供の頃に何かトラウマがあるんだと思う。だから、こんなことやってるんだと思う(笑)。

青木 : そうかもしれないですね(笑)。

—思い当たるトラウマあります?

MORRIE : 覚えてたらトラウマじゃないから。

—え? そうなんですか?

MORRIE : 本当にものすごい恐怖の体験とかは、無意識に抑圧されてしまって、意識に戻ってこないからね。それが、人生の後半になってきて、肉体の不調になったり、精神的に不安定になったりすることもあるわけですよ。何か分からないけど、そこに導かれているというか。トラウマから来る症状というのは、精神分析的に追体験すると治るって言われていたりするけれども。

青木 : そうなのかもしれないですね。僕も何かがトラウマになっているのかは分からないけど、なんとなく子供の頃から自己解決できてると思いますね。ん〜、解決したというより、それを利用してるのかもしれない。

—利用?

青木 : そう。利用してる。子供の頃に苛められていた記憶とか、そのときの気持ちを解決させた自分がいるっていうこと。それがあった上で、今の自分がいるということを全利用してますから。だから、苛められていたことがトラウマと言ってしまうのは、違うと思うんです。

MORRIE : 僕は子供の頃、火遊びが好きで。

—山燃やしたことあったって言ってましたもんね……。危うく火事になりかけたって。

MORRIE : そう。

青木 : え(笑)? 山燃やしたらダメですよ(笑)。犯罪ですよそれは(笑)。

MORRIE : それはそうなんだけど(笑)。とにかく火遊びが好きで。火を触りたくてしかたなかった。

青木 : でも、ちょっと分かります。炎ってすごく魅力的ですよね。見入っちゃう。

MORRIE : そう。本当に不思議だよね。見入ってしまう。

青木 : 不思議ですよね。炎に遠い記憶を見るっていう人もいますよね。アフリカを思い出すっていう人もいるみたいだし。本当に遠い記憶を呼び起こすんだっていう、世界的にそういう報告があるらしいですからね。

MORRIE : 人間が道具を作って火を起こすようになった頃の記憶が、潜在的に埋め込まれているのかもしれないよね。最近の発見で、神経細胞、ニューロンが光子を再生しているらしい。昔の偉人とか天使の頭の上には光輪が見えるでしょう。あれは比喩的象徴でも何でもなくて、本当に光の輪が有ると。

青木 : たしかに! あれはそういうことなんですね! すごく興味深い話しですねそれ。

MORRIE : 本当に深く思考している人は光子の生産量が多いから、見える人にはその光子が見えるらしい。意識は光であると。僕がSUGIZOのソロアルバムで歌った「光の涯」という曲ががあるんだけど、僕にとって「光」は昔からキーワードだからね。20年くらい前にある啓示を受けたんだよ。ものすごい体験をした。1996年の1月。その前からもずっと、そういう感覚はあったんだけど、その日に裏付けが出来たんだよね。その時、はっきりと分かった。自分が自分であるということは、光が変換されて起こる現象というか・・・それを見てしまったんです。夜中の2時くらいに。自分が自分であるところの自分になる光が見えたというか。光がまず存在している。比喩的に言えば、光って、真上から見ると影が消えるでしょう。たぶん、僕がいたのは、その瞬間だったんだと思う。Creature Creatureの1stアルバムの『Light & Lust』は、そういうことなんです。「Light」は存在としての究極の何か。「Lust」はこの世的なものの精髄。その形而上と形而下の間、というような。そのアルバムに入っている「LIGHTS」という曲は、そういう曲だからね。「光の涯」では、光を超えていかないといけないということを歌っているんです。そういう不可能なことをね。

青木 : 光の話し、すごく興味深いです。

MORRIE : 僕はだいたいそんなことばかり考えているから(笑)。そういうことを考えているときが一番落ち着くというか。

青木 : 分かる気がします。僕はとにかく1人の空間で物作りをするのが一番心地いいですからね。入院が終って家に帰った時、すごく最高でしたもん。

—不安じゃないですか?

青木 : うん。大丈夫。

—強いですね……。すみません、唐突なんですが、すごく俗的なことをお聞きしますけど、青木さん、結婚願望とかはまったくないんですか? 

青木 : 僕はまったくないですね。本当に1人で物作りしているときが一番幸せを感じているから。とにかく、それが今、一番幸せで。

MORRIE : そもそも結婚願望って何?

—その字、そのままですよ(笑)。 

MORRIE : 具体的な相手が居て、この人と結婚したいっていう感覚は分かるけど、漠然と結婚願望があるという感覚が分からない。

—たしかに、MORRIEさんも“結婚願望”があって結婚されてるタイプでは確実にないですもんね。こんな質問をしておきながら私もまったく結婚願望なく結婚したタイプですが。

MORRIE : 縁だよね。僕は結婚というのは、縁だと思っているから。青木くんとの出逢いもそう。すべては、存在が存在し、今ここに、この自分が自分であるところのこの自分が存在するという奇跡から来る縁。結婚願望っていうのは、すごくある観念にとらわれた考え方なのではないか。田舎に行くと、周りが騒ぐからとかで結婚を急いだりすることもあるんですよ。僕はそういう凝り固まった観念が嫌で18歳の頃に田舎を出てるからね。そこは外していかないと。僕も青木くんも、この世でそういう任務を背負っているんだと思う。役目だと思う。

青木 : たしかに、そう言われるとしっくりくる気がしますね。

MORRIE : それがこの世のミッションなのではないだろうか。それは年々感じているね。漠然と感覚でやっていたことが、だんだん腑に落ちる感じになってきたというか。腹の底で分かっていく感じだね。

青木 : そういう感覚はたしかにありますね。狙って作っていたわけじゃないけど、そこに繋がっていくんだな、っていう感覚というか。すごく不思議ですけどね。

MORRIE : それこそがミッションの感覚なんだと思うよ。本当に。僕も青木くんも、この世に生まれたことの意味というものがあるとするなら。だから、この世にいるかぎりは、このミッションをやり続けなければね。いいものを作る。それだけですよ。

青木 : 本当にそうですね。本当にそう思います。僕も今はただただそれだけ。それが楽しくてしかたないというのは、本当に幸せなことだと思ってます。

Photo by Eisuke Asaoka

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